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<目次>
ことはじめ 桝本 純
編集の経緯について 大賀英二
第一部 原子力ムラと闘う方法
原子力ムラと闘う方法
第一章脱原発運動への始まり 経産省の後ろめたさ
第一節 二〇一一年三月一一日の衝撃と福島支援活動
●二〇一一年三月一一日の衝撃 ●原発の危機の本質 ●「直ちに健康への被害はありません」 ●「想定外」の地震・大津波 ●福島への支援活動
第二節 運動の高揚とテントの設立
●国会前座り込み ●経産省包囲デモ ●テントは最初レンタルだった ●筋を通す
●テントを建てた時の現場状況 ●テント設立直後の展開 ●国有地借用の要望書を出す ●ただ今、交渉中
第三節 テントの日常
●福島の女性たちの登場と合流 ●再度の人間の鎖 ●二〇一二年一月二四日の退去命令 ●原発立地の抗議行動へのバスツアー ●テント設立後の改憲阻止の会との関係 ●行政不服審査法の度し難いシステム ●二〇一二・七・一二再審査申請願い ●監視カメラ設置等について ●テントとは何だったのか──テントが切り拓いてきたもの
第二章テント裁判とテントの精神
●テント裁判 東京地裁判決 ●東京地裁第一審判決と控訴 ●東京高裁判決 ●川内テントの設立とテントの思想
第三章テント裁判敗北とテントの闘争
第一節 なぜ原発なのか、なぜ原発反対なのか
●はじめに ●原料が安いというのは魅力的だった ●人形峠のウラン ●四〇年の寿命ということについて ●アメリカへプルトニウムの返還・移送──四八トンの分離プルトニウムの保有 ●高速増殖炉「もんじゅ」の破綻 ●東海原発(第一)の廃炉問題 ●政府のエネルギー基本計画 ●使用済燃料~核燃料サイクル~もんじゅ・六ヶ所村再処理工場~地層処分
第二節 経産省前テント撤去の強制執行
第三節 経産省前テントここに在り
●原子力安全の根本問題 推進論者の高み その一 ●原子力安全の根本問題 推進論者の高み その二 ●諦めないで闘うこと ●本当に「自由に闘う」ということができるのか
間 奏 テント前史
「9条改憲阻止の会」の経験──大衆運動か革命運動か
第一節 本音と建前
●改憲反対の呼びかけ ●改憲反対か樺さんの追悼か ●二〇〇六年の6・15─ちょっ
と引いて参加していた
第二節 大衆運動か革命運動か
●「9条改憲阻止の会」に突っ込んでいく ●ベルンシュタイン主義で ●二〇〇七年の6・15──「改憲阻止の会」の華々しい登場 ●「阻止の会」の党派的状況について ●「来る者拒まず去る者追わず・小異を残して大同につく」の功罪 ●「慎重であらねばならない」とはどういうことか
第三節 改憲反対と沖縄闘争
●『戦争放棄─交響曲第九条』 ●明文改憲の後退と「改憲反対バンク」構想 ●民主党政権と沖縄闘争──鳩山内閣に対する要望書 ●「県外移設構想」の頓挫 ●本土の沖縄闘争 ●『普天間基地即時撤去、県内移設反対東京集会』 沖縄では観光バスがなくなる!?
第二部 渕上太郎という男 聞き書:桝本 純
第一章 テント、建つ
●「三・一一」の衝撃 ●テント、建つ! ●若者たちとオジさんたち ●「使用申請」と「不許可」通知、「審査請求」 ●右翼・民族派・保守系 ●国民的運動と左翼
第二章 満洲に生まれて
●戦時下の大連・敗戦 ●引揚げ・舞鶴上陸・東京世田谷へ
第三章 困窮の戦後を生きて六〇年安保へ
●転校相次ぐ小学生時代 ●流転の生活 ●ついに持ったわが家。だが… ●再び国府津へ引越し ●小田原の青春1──中学時代 ●小田原の青春2──高校時代 ●社会認識と政治意識
第四章 六〇年代学生運動と「ML派」
●大学生になって ●大管法闘争とストライキ処分・ブント再建論争 ●労働戦線への移行──生活と政治的彷徨 ●激動のなかで ●「決戦」前後と「組織なき時季」
第五章 日本労働党と中国実見
●日本労働党への参加と活動 ●中国訪問 ●東陽書房 ●起死回生のプロジェクト
●中国認識と「民族差別」 ●日本労働党離党と借金始末
終 章 二一世紀:渕上太郎 再起動
●「改憲阻止」活動への誘い ●団地自治会での活動
あとがき 渕上太郎
渕上太郎のこと 江田忠雄
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